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【21】

軌跡  評価

チュウエイ (2013年10月16日 00時26分)

 今日(もう昨日かな)、テレビで「子供に自分の青春時代の写真を見せたことがあるか」というアンケートというか質問をしていました。


 「見せたことがない」という意見のほうが多かった。中には「見せない、見せたくない」という人も結構いました。


 なぜ見せたくないのだろう・・・私にはない感覚。


 で、私がもしそういう質問をされたらこう答えざるを得ない。


 「見せられない」と。


 そう、私は小さい頃や若い頃の写真を持っていないのです。


 別に写真が嫌いなわけではありません。これまでもたくさん撮ってもらいました。


 でも、「アルバムに収める」という習慣がなかったので、今ではもう皆無、ほとんど残っていません。


 はっきり言って「失敗した」と思っています。非常に後悔しています。


 このテレビを観ていて、無性に若い頃の写真が見たくなりました。


 でも、もうあとの祭り。


 「昔の写真がない」という事実に改めて向き合ってみると、過去がないというか、これまで積み上げてきたものが無に等しくなったような感覚さえあります。


 当然そんなことはないとわかっていますが、たかが写真、されど写真、一つの「しるし」であることは間違いない。


 子供が同じ轍を踏んで後悔することがないよう、色んな意味でしっかりと残していきたいと思います。




 写真みて 何を思うか それぞれが そこにあるもの それが足跡

 
【20】

記憶の世界  評価

チュウエイ (2013年10月14日 22時28分)

 小さい頃、手のひらほどの大きなクモをよく家の中で見かけた。夜中、ネズミが天井裏を走っている音が聞こえた。


 ゴキブリやムカデなんて当たり前。風呂場の窓にはよくヤモリが張り付いていた。


 家の前の川にはイモリがたくさんいた。オイカワもいた。カマツカもいた。コイ、フナ、タナゴ、ナマズ、ドジョウなんて当たり前。


 田植えの時期になるとたくさんオケラが出てきた。その脇のドブ川にはタイコウチがいた。タガメもいた。ヤゴもたくさんいた。


 ハンミョウ、タマムシ、ガマガエル、別に珍しくともなんともなかった。


 夏になればクワガタ、カブトムシ、いくらでも取れた。10cmほどもあるオオヒラやオオクワも取ったことがある。


 夏休みは学校のプールを常時開放していたが、ほとんどみんな川へ泳ぎに行っていた。


 10mほどもある崖の上から飛び込みをするのが好きだった。


 トリモチでよくメジロを捕まえた。洞窟にはたくさんのコウモリがいた。梨山について行ったとき、野ウサギを捕まえた。


 畑に駆除用の捕獲仕掛けでモグラを捕まえた。イタチを捕まえたときはその異臭が半端なかった。ママレモンで洗ってもその臭いが取れなかった。


 家のゴミは、家の前の道路脇で普通に燃やしていた。それは私の役目だった。近所の人がその煙に気付くと、それに便乗してよくゴミを持ってきた。




 ふと、そんな昔の日常を思い出していました。目を閉じると、当時の家の周りの風景がはっきりと思い出せます。


 今ではもう、その面影すらありません。なんとなく、少し寂しい、悲しい。


 本当に便利な世の中になりました。でもやっぱり、そのことで失ったもの、その代償は大きいものがあると思います。



 ・・・あっ、別にそのことでどうこう言うつもりはありません。ただ、昔を思い出して感慨深くなっただけです。


 今では、家の中でムカデを見ることなんてまずないですね。


 まぁ正直、別に見たくはありませんが、あの頃、食事中にムカデが出てきて大騒ぎしてたあの頃が、私には合ってるというか、楽しかったような気もします。




 思い出を 昔のことさと 何素振り でもその心 感慨深く


 
【19】

やっぱり勝てない・・・  評価

チュウエイ (2013年10月14日 09時28分)

 
 先日、帰省した際、久しぶりに伝説の先輩に会いました。


 本当にもう、地元では知らない人はいない超が付く有名人。私の4つ上の先輩。


 中学のとき、初めて先輩に会ったときは、「これが噂の・・・」とその威圧感というか、凄まじいオーラみたいなものを感じたような気がします。


 年上だろうが、暴走族だろうが、地元で先輩にたてつくヤツはまずいませんでした。


 私は本当に可愛がってもらいました。就職してからもよく二人で飲みに行きました。


 逸話は数知れませんが、私が実際目にしたちょいネタを2つほど。


 飲みにはいつも車で行ってました(もう時効です(笑))

 

 飲みの帰り、いい気分で信号待ちしていると、いきなり先輩が車から降りた。


 「なんだ?」と思ってみてたら、後ろのトラックの運ちゃんに何か言っている。あっ、運ちゃん引きずりおろした・・・っておいおい(汗)


 聞けば、トラックのライトは高い位置にあるので、信号待ちしてたらそのライトが凄く眩しかったらしい。


 で、「信号待ちのときはライト消せ」と文句を言ったとのこと。


 おいおい・・・それはお願いするものだ。いくら飲んでるからってその行為は理不尽すぎるでしょ。先輩が悪い。


 中州に飲みに行ったときのこと。明らかにその筋と思われる若い二人組が入ってきて、周りの迷惑も考えずに大騒ぎしだした。


 嫌な予感がした。よりによってなぜこのタイミングでこの店に来やがるんだ・・・


 んっ、でも意外と先輩冷静だぞ。少しは大人になったかな、よかった。


 あいつらは先輩の背中側、テーブルを一つ置いてその奥に座っている。


 先輩静かだな・・・っておいおい。何か投げてるぞ。そう、チャームのチョコやピーナッツを前を見たまま後方に一つ一つ投げているのだ。


 そしてそれが当たったあいつら、「誰だ、こらぁ」


 ・・・やっぱり全然大人になってないじゃん(汗)


 まぁ先輩、本当にプロレスラーみたいな体してたからなぁ。「オレだ」って言った瞬間、もう勝てないって思ったんでしょうねぇ。すぐに謝ってましたよ。よかった、よかった、喧嘩にならなくて。


 そんな先輩に久しぶりに会いました。昔とはまるで違う先輩に・・・


 そう、実は糖尿病ですごく痩せていたのです。頬はこけ、あの凄かった筋肉はその面影もなかった。


 鬼神でも病気には勝てなかったか・・・


 ものすごく寂しい、切ない気持ちになりました。先輩、どうかお体だけはお大事に。




 魔人ブウ 夏の終わりに 舞い降りて 昔の思い出 語り明かさん


 
【18】

嗚呼、懐かしきMR2  評価

チュウエイ (2013年10月13日 01時06分)


 若い頃、トヨタのMR2というツーシーターの車に乗っていた。


 初めて買った車。新車で買って10年間で14万km、廃車になるまで乗りつぶした思い出深い車。


 本当にこの車とは色んなことがありました。その思い出というか、失敗談を羅列してみましょう。


 雨の降り始め、信号待ち、青になるのと同時に調子こいて急発進で左折。そしたらスピンして、幅1m、高さ10cmほどの中央分離帯に乗り上げ反対車線へ。


 幸い他の車への接触はなかったが、この一部始終を見ていたガソリンスタンドの店員が一気に駆けつけてきた。


 私は恥ずかしさのあまり、パンクしているにもかかわらず、また急発進で知らん顔で走り去ったのでした(笑)


 新車で買ったにもかかわらず、最初からトランクが雨漏りしていた。


 ある日、友人から処分を頼まれた麦袋(昔よく精米所とかにあった大きな紙袋に入ったやつです)をトランクに入れていたのを忘れ、半年ぶりくらいにトランクを開けたら、トランク内がすごいことになっていた。


 何か得体のしれない小さな虫が無数に舞っていて、ものすごい異臭を放っていた。


 掃除機で吸い取ったら、掃除機が壊れ、母にすごく怒られました。


 車を運転中、缶コーヒーのフタを開けていたのを忘れ、思いっきり振って車内がコーヒーまみれになった。


 助手席の窓を閉め忘れ、その日の夜から大雨。もうどうなったかは想像つくでしょう。


 ガソリンを満タンにして帰宅すると、何やらガソリンの臭いが・・・何と店員がキャップを閉め忘れていたのです。


 こんなこともあるんですねぇ。


 半年ほど車に乗れない時期があり、久し振りに車に乗ろうとしたらエンジンがかからない。「やばい、バッテリーあがったか・・・」


 オートバックスに車を持っていくと、「バッテリーは問題ない」と言う。「じゃあ何だ?」


 実はずっとオイル交換してなかったんで、オイルがあまりにも汚れすぎてエンジンが回らなくなったとのこと。


 エンジン清掃してもらい、「次はこれでお願いしますね」と言って渡された紙には、今の走行距離からきっちり3000km足した距離数が書かれていた。


 でもこの教訓は未だに活かされておらず、車検のときにしかオイル交換しませんけどね(汗)



 
 元来の 面倒臭がり このオレは 生涯マメ男に なることないさ



 
【17】

生涯の親友  評価

チュウエイ (2013年10月13日 00時41分)

 パチ屋の狼さん、こんばんは。えっと、何て書こうかな・・・


 【13】の書き込みは事実ですが、ネタ的に書いたものなのであまり気になさらないでください(汗)


 私は昔、もう後がないというくらいの窮地に追い込まれたことがあります。


 そして、その窮地を救ってくれたのが、親友の「嘘」でした。


 その嘘で、その親友はものすごい罵声を浴び、みんなから「絶交だ」と言われ、仲間はずれにされてしまいました。


 でも、それでも彼は、本当のことを打ち明けなかったのです。


 私は最後まで、名乗り出ることができませんでした。本当に最低の卑怯者でした。


 それでも彼は、「いいよ。気にしなくていい。オレも気にしてない」と私に言ったのです。


 私は後ろめたい気持ちでいっぱいでした。そして、痛切に感じたのです。


 彼が持っているのが「真の強さ」であり、私のは上辺だけ、形だけ、見せかけの強さ。


 どんなに後ろめたい気持ちになっても、結局名乗り出ることすらできない弱虫。


 このとき初めて、心の奥底まで染み渡る重い何かを感じました。


 そして、「彼みたいになりたい。いや、絶対になる」と強く思ったのでした。


 ・・・でも未だに、彼の足もとにも及んでいませんが(汗)


 
【16】

逃げ道を。  評価

パチ屋の狼 (2013年10月12日 02時50分)

次は[14]に対するレスです。

相手が悪いと思っていても、特に子供に対しては、逃げ道をふさいで追い込むのは良く無い事です。
それについては同意いたします。

相手の逃げ道も、あえて残しておくのは、論争に対する定石です。
最初から全ての逃げ道をふさぐのではなく、特定の方向だけ開けておいて、徐々に追い込んで最後に勝つのは、最近のドラマ「半沢 直樹」などで見られる手段です。

相手の逃げ道を最初から完全に無くしてしまう、あるいは逃げられる状況を全て無くしてしまうと、悪い結果にしかなりません。

たまにある世間での、親殺し、又は子殺しの事件ですが、あれは逃げ道を無くした結果です。

「窮鼠、猫を噛む」の言葉通り、逃げ道を失った相手が、「敵」の存在を消す為に取った最後の行動、と言えます。

「故・遠藤 周作」先生の著書「考えすぎ人間へ」より。

『「天安門事件」で、学生達は政府の逃げ道を完全に無くしてしまった。
(中略)あの国では、ああいう風になると戦車がやって来るのです。』

これこそまさに、完全に逃げ道を絶たれた中国政府が、「逆ギレ」の結果に起こした行動だと言えるでしょう。
「窮鼠が虎になった」と言えます。

「ウソも方便」という言葉がありますが、この場合は自分だけではなく、相手の利益も考えたウソのつき方です。
自分、もしくは片方の利益だけを考えた「屁理屈」は相手に煙たがられるだけですが、出来れば上手なウソをつきたいものです。


今回の言葉

「女のウソは許すのが男だ

               ワンピース サンジ」


「信じられぬと嘆(なげ)くよりも、人を信じて傷付く方がいい

               贈る言葉by海援隊」
【15】

底なし沼。  評価

パチ屋の狼 (2013年10月12日 02時29分)

チュウエイさん、こんばんは。

私も似た境遇にあります。

私は中学の頃に、壮絶ないじめに遭った事は以前自トピで書きました。
特に、ほとんどの女子に嫌われ、ある女子が友達から誕生日にゾンビ人形(押すと仕込んだスライムを口から吐く)をもらってはしゃいでいたのを見ていたら、いきなり「オメエに見せる為にあるんじゃねえぞ!」とその女子の友達がドン引きする程、態度が豹変してすごまれた事もあります。

私から一定範囲に女子は近寄らず、集合写真などでも、私の周りにはぽっかりと空間があって、誰も居ません。

「女の心変わりは恐ろしいのう」とは、「北斗の拳」の「シン」のセリフですが、いきなり態度が豹変する女子はつかみ所が無かったです。

それ以来、女の子に接するのを極度に避ける様になりましたね。
自分は嫌われている、特に女子に。という概念を植えつけられましたので。

今では直りまして、大丈夫になりましたが、若い頃は、いきなり何言われるかと、口を聞くのはおろか、近寄るのも苦手なくらいでした。

何しろ、女性というのは、一度自分が嫌いになると、手の平を返した様に、徹底的に嫌いになるので難しいです。

幸いな事に、このPWの利用者の女性の方は、そうでもない様です。

良くある痴漢の冤罪も、一部の自意識過剰な女性の仕業ですが、女性=社会的弱者と決め付けて、一方的に男性を犯罪者扱いする世間も悪いのですが、こういう、女性が被害者になる事件は、扱いを間違えると、世の女性の反感を買うので。

女性の怒りがなぜ恐ろしいかと言うと、女性の怒りというのは、普通(あくまでも普通に考えて、です)極めて短絡的で常識の範囲外にあります。
一度怒りに火が付けば、それは善悪の判断を問いません。だから恐ろしいのです。

どれだけ恐ろしいかは、漫画「オバタリアン」(作:堀田かつひこ)を読めば、十分お解かりになるでしょうw

もちろん、全ての女性の怒りが、自己中心的なものではありませんが、いきなり烈火の如く怒り出してその原因が解らないのも、女性というものです。


嗚呼、女心と秋の空・・・。

追記
PWの女性の方、どうもすいません。
「聞いた風な口を聞くな」と言われれば、「はい、その通りです」としか言えません。
「女性の事が何も解っていない」と言われれば、「はい、その通りです」としか言えません。

このコメントも、あくまでもチュウエイさんに同調(ご機嫌取りでは無い!)するものです。

だから、勘弁して下さい(光の速さで逃走)。
【14】

疑うこと、そして信じること  評価

チュウエイ (2013年10月12日 01時55分)

 『アイツが言ってんだろ?どうせまた嘘に決まってる。信じるだけムダ。・・・でも、アイツは本当のことを言っていた・・・』


 『信じていた。信じ切っていた。アイツが嘘をつく筈がない。・・・でも、そんなアイツが嘘をついていた・・・』


 疑う、そして信じるという上記2つの正反対の事象。でも結果、自分が「傷つく」のは同じ。


 同じ傷つくのであっても、その背景や傷つく度合いがまるで違う。


 私はこういう2つの傷心を経験し、明らかな場合を除き、「もう人を疑うのはやめよう」と決心しました。


 同じ傷つくのなら、人を信じて傷ついたほうが何倍もいい。


 人を信じて傷ついたのであれば、自分を納得させることができる。そう強く思ったのでした。


 人が嘘をつくのには、必ず理由があると思うのです。


 「理由はどうあれ、嘘をつくのは絶対によくない」と言われる方もいますが、私はそうは思いません。


 子供はよく嘘をつきます。でもその大半は、「自分を守るため」に嘘をつくのだそうです。


 だからある意味、自分を守るために本能的に嘘をついている部分もあるのです。


 悪意のある意図的な嘘を除き、子供は嘘をつくと、自分自身を責めます。


 そう、嘘をついてしまった自分に、深く傷つくのです。


 そんなとき、頭ごなしに叱りつけると、子供は追い込まれ、居場所をなくしてしまいます。更に傷ついてしまいます。


 なので、そういうときの親の対応は非常に重要であり、また、非常に難しいのだと思います。


 くり返しますが、人が嘘をつくのには理由があると思います。


 大事であり、問題視すべきなのはその「理由」であり、嘘という行為そのものではないと最近では思うようになりました。


 「嘘をつくのは誰だって心が痛む。でも世の中には、本当に相手のことを思って、考えて、心を鬼にしてまでつく嘘もある」


 そう思っています。


 そういう思いから、最近では自然と、人を疑うということがほとんどなくなりました。そして、人を信じて傷つくことも。




 おさなごの 清き心に 満ち足りて 我が行く道の しるべ示さん


 
【13】

培われた条件反射?  評価

チュウエイ (2013年10月12日 01時12分)

 「ジロジロ見ないでくれる?」


 
 見ず知らずの女からこんなことを言われた。心外だった。オレはあんたのことなんか知らない。見ていない。


 ・・・いや、そりゃちょっとは見たよ。見たけどさ・・・


 自意識過剰も甚だしい。これだから女ってやつは・・・


 ・・・いや、そりゃ可愛いと思ったけどさ、綺麗だと思うけど・・・


 16〜7歳の頃の話です。今にして思えば、自分でも思わず苦笑いが出るようなことなのですが、当時は本当に殴ってやろうかと思うくらい、超頭にきました(笑)


 でもそれが、トラウマのようになったのも事実です。それからはすごく神経を使うようになりました。


 視界に女性が入っただけで「絶対にそっちを見ない」と強く思って目を向けないようにしていました。


 その影響からか、私は相手の目を見て話すことに抵抗を覚えるというか、すごく苦手になってしまいました。


 今では無意識のうちに目を逸らしてしまいます(汗)


 そしていつも言われるのです。


 「ちゃんと目を見て話して」と。


 ・・・って言われてもねぇ、恥ずかしいんですよ、人の顔を直視するのが・・・




 パトカーが 近づくだけで 罪悪感 ちょっと悲しい 条件反射


 
【12】

愛しさと純粋さと  評価

チュウエイ (2013年10月11日 00時17分)

 最近また、ベンガルさんの書き込みを読み直しています。


 ベンガルさんの現状を目の当たりにした今は、以前とはまた違った、色んな思いや様々な感情が芽生えているのを感じます。


 そして思うのは、やはりベンガルさん、このトピを立てられたときから、いやもっとそれ以前から、ご自身のお体のこと、気づいておられたのだろうということ。


 たくさんの「生」に関する書き込みや友人等の「死」への直面に対する思い、また、ご自身の生に対する望みをあえて公言されていること、体が丈夫である、健康であるということを強調されている部分等々、節々にその一端が窺えるような書き込みがあります。


 「公言」に関しては、後にご自身でも「自分に言い聞かせるため」と明かされています。


 なので最初にその書き込みをされた時点ですでに、確信に近い自覚を持たれていたのではないかと思います。


 
 当然、私の思い過ごしの可能性もありますが、そういった背景のなか、あのような書き込みをされていたという事実に思いを致すと、それを読んだ私たちはもっと真剣に、そしてしっかりと、その一つ一つに対して、ちゃんと考えていかなければならないような気がしています。


 そして、そんな中、私の頭からずっと離れない言葉があります。


 『やった、これで明日も幸せだね。でも今日はもっと幸せ』


 この言葉が純粋であればあるほど、そして、本当に純粋なだけに、私の胸に強く突き刺さります。


 娘さんは、今のこの状況を理解されているのだろうか・・・それを考えるだけで、強く胸が締め付けられます。本当に純粋なだけに・・・


 小さい頃、誰もが持っていた純粋な心。その心を終生持ち続けることができるよう導くのが親の務めであり、大人として常に意識していかなければならないことだと思ってやみません。


 『私の書いてきたこと、言ってることが正しいわけではありません。でも、それを読んでチュウエイさんが感じたことは正しいのです。それが、私が娘に自分で決断しなさいと書いた真意です』


 ベンガルさんの書き込みには本当に色々なことを考えさせられます。そしてこれが、このことが、私のように何かを感じ取る人がいるという事実が、そう思うことが、思えることが、ベンガルさんにとっての「自己満足」だったんじゃないかと思います。
 


 そう、ベンガルさんが何度も言われてた、「人間」であるために。




 忘れてた 本当はあるんだ 私にも


 
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