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【113】

カンパチ・ベルガーZII

カンパチ (2015年07月12日 20時12分)
遊び場




■ 113件の投稿があります。
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【113】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月30日 08時11分)

誰が何を言いたいのか、訳が分からなくなりました。



とりあえず、このトピの目的は達成できたので、



これにて落着。
【111】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月29日 20時30分)

ソンミ村事件の話は、これで終わりです。


この話は、「平気でうそをつく人たち」の第五章から、抜粋しました。


と言っても、丸写ししたのではなく、

例えば、長ったらしい文章(著者はアメリカの学者なので、文章が、とにかく長い)を、

趣旨を損なわない程度に、区切ったり、


あるいは、一つの段落が文章A文章B文章C文章Dで構成されており、

順番に読むと、なに言ってるのか訳が分からなくなる場合があるのですが、

何度も読み返すうちに、

A→C→B→Dの順に読むと、すんなり理解できる、という場合があります。

そういう場合は順番を入れ替えました。


手前味噌ですが、悪戦苦闘でした。



という訳で、

僕は、今問題になってる安保問題を考えるにあたって、

このソンミ村事件についての、この著者の考え方が、

多くの示唆を与えてくれるような気がしたので、

ま、トピ主の勝手ってことで、書いてみました。


安保法案が成立すれば、

多分、自衛隊が海外で武力行使できるようになるのでしょうけど、

そうなれば、ソンミ村事件のような事態が生じないという保証はありません。


その場合、誰の責任になるのか。

この著者は、国民一人一人の責任だ、と指摘しています。


著者はこう言います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【79】

忘れてならないことは、

いやしくも軍隊というものが必要なものであるならば、

それは、常に痛みを伴ったものでなければならない。

即ち、完全徴兵制(=非志願兵制度)こそ、

軍隊を健全に保つ唯一の道である。


人を殺さなければならない時には、

自分に代わってダーテイーワークを引き受けてくれる

プロの殺し屋を雇ったり訓練したりして、

殺しに伴う流血を忘れてしまうようなことがあってはならない。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

まず、一国の国民が軍隊を持つことを選ぶのなら、完全徴兵制にすべし、

ということです。


ただ、僕としては、これは、理想論じゃなかろうかと。


現在、世界の半分くらいの国が徴兵制になっています。

兵役期間は、大体2年くらいのようです。

中には、10年という国もあります。


とりあえず、2年として、

その2年の間に、

一体、どれほどの軍事技術を身に着けられるのでしょうか。


多分、せいぜい、体力づくりと、銃の扱い方を覚えるくらいなんじゃなかろうか。つまり、歩兵程度。

ジェット戦闘機の操縦とか空中戦の訓練なんて、

2年間でできるわけないと思うのですが(できるのかな?)。


そんなことを考えると、どうしたって、職業軍人が必要になるので、

「完全徴兵制」は、不可能じゃないでしょうか。


となると、著者の言う、

>忘れてならないことは、いやしくも軍隊というものが必要なものであるならば、

>それは、常に痛みを伴ったものでなければならない。


という点は、

国民一人一人としては、具体的には、どうすればいいのでしょうか。


例えば、戦場に送られた自衛隊員を、輸送機で、強引に日本に連れ帰すとか。

あるいは、戦闘が始まったら、国民も一斉に戦場に行っちゃうとか。


そんなこと言ってると、『ふざけてんのか』と怒られそうですが。



軍隊というのは、よく言われるように『殺人装置』です。

保持しているのは国民です。

兵士が殺人を行ったら、

当然、国民一人一人が罪を負わなければなりません。


とりあえず、この理屈だけは、自覚しといた方がいいんじゃないのでしょうか。

その自覚を持ったうえで、安保を考えるべきではないか、と思うのです。
【107】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

いただきだ〜 (2015年07月29日 18時33分)


おいおいっ

他人のページ上げを邪魔するなよっ

失礼じゃねーかぃ?

敢えて縫わんでおく

意味わかるよねー

賢そうだからw
 
【106】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

ヒラマサ☆ (2015年07月29日 18時22分)

≪ページ21≫


堅苦しい話が続いたので、しばし小休止としたい。

お断りしておくが、筆者は戦争断固反対の立場であり、

ありのままに真実を伝える使命から、

時に残虐な表現を用いている事をご理解願いたい。


今回は、ほとんど語られることのなかった

ある部隊と村民の心温まる話を取り上げる。


形式上は志願という形で組織された部隊名はヒーラ・ターン。

若い面々で組織されたその部隊の派兵先は、

ソンミ村の南東45キロ、ソニン村付近であった。


前線からそれなりに離れたその地区は、

戦争慣れした職業軍人たちから見れば平和地区そのもので、

上層部が初陣のヒーラ・ターン部隊を

ソニン村に派兵した理由がうかがえる。

携行武器も軽機関銃、手りゅう弾程度の簡素なものだった。


だが着任後の部隊の面々の体力、精神状態は、

いつ襲ってくるかもしれない敵への恐怖、

幻想からくる睡眠不足、十分とは言えない食糧状態、

早々に悪い方向へ崩れていった。


一方近隣のソニン村の住人は、

そんな部隊の威圧感の無さからか

警戒もそこそこに積極的に接近してきたのである。


部隊の面々も打ち解けた後は、農作業を手伝ったり、

色んな雑用をこなしたり、

無心になって井戸を何本も掘ってあげるなどした。


若い部隊長も隊員の任務外のそのような行為を黙認した。

なぜか、明らかにそのような行為がプラスに

作用していたのを感じていたからである。


村の潤いが一段落したころ、ソニン村村長が

部隊をお礼の宴に誘った。

ぜひとも全員で来て欲しいと。

宴は大いに盛り上がった。

村長は村に伝わる一番の酒を、自分が飲むこともなく

惜しげもなく皆に振舞うほど、彼らをもてなしたという。


語り継ぐほどではないが、軍人と非戦闘員である村民との間

のとりとめのない話である。思わぬ形で生まれた絆である。


・・・・・


翌朝ヒーラ・ターン部隊は、酒に含まれた睡眠薬で

熟睡してる間に全員殺されました。

武器類はすべて売り払われ。村はさらに潤いました。


                ヒラたんです (*^-^*)
【104】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

メーシー (2015年07月29日 17時55分)

カンパチさん

こんばんは

こっちで


>これを誹謗と受け取られるとすれば、

>それはそれでしょうがないな、と思ったうえで、アップしたんだ。

俺は前後の書き込みをリアルタイムで見ていたから、カンパチさんの「解説?読解だっけ?」を、

誹謗に見えず素直に読めたけどな!

だから一言入れたんだ!


>れのあさんの心理を汲み取る努力をするべきではないか、と思います。

>それが『愛』ということではないか、と思います。

今回再掲載しているのは最後の部分しかないが、これ見て誹謗に見えるのは、

カンパチさんの事が嫌いなんだろ〜な。


それでも、カンパチさん心理を汲み取る努力をするべきではないか、と思います。

それが『愛』ということではないか、と思います。

↑余計かな?


また
【100】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月29日 07時41分)

≪ページ20≫


通常、我々は、証拠を突きつけられたときには、

ナルシシズムが傷つくことにも耐え、

自分の考えを改める必要性を認め、

自分のものの見方を修正する。


しかし、強固なナルシシズムにとらわれた個人と同様に、

国家全体のナルシシズムもまた、

時として、通常の限界を超えてしまうことがある。


そうしたことが起こると、

国家は、証拠に照らして自己の考えなり行動なりを修正する代わりに、

その証拠を隠ぺいしようとしてかかる。


これが1960年代のアメリカの姿である。


アメリカ国民の世界観の誤謬性と、

アメリカの影響力の限界を示す証拠を

アメリカに突き付けたのが、当時のベトナムの状況である。


そのため、アメリカは、事態を再考するよりも、

ベトナムでの現実を破壊し、

できることならベトナムのすべてを破壊してかかろうとしたのである。


本来ならば小さな過ちで済むはずだった1964年の失敗を認めるよりも、

自分たちの正しさを証明するために

ベトナム国民を犠牲にして、

戦争を急拡大させようとしたのである。


とはいえ、当時の悪の責任を

全面的にジョンソン政権に負わせるのは間違いである。


なぜジョンソンがアメリカ国民をだましおおせることができたのか、

むしろそれを問題とすべきである。


なぜ、アメリカ国民は、

あれほど長い期間だまされることを自分自身に許したのか。


国民には国民の生活がある。

毎日の仕事に励み、

新しい車を買い、

家のペンキを塗り替え、

子供を大学に入れなければならない。


集団のメンバーの大多数は少数の人間に導かれることに満足する。


それと同じことで、

市民としてのアメリカ国民は、

政府に『政府の仕事』をさせることで満足していたのである。


国民を導くのはジョンソンであり、

我々はそれに従うだけだ、

というわけである。


市民があまりにも無気力であったために、

目覚めることができなかったのである。


我々はこう考えていた。


アメリカの国家的姿勢や政策に間違いのあろうはずがない。

我々の政府は自分のしていることを知っているはずだ。

結局のところ、アメリカ政府は我々の選んだ政府である。


彼らは善良かつ誠実な人間たちだ。

彼らは、この素晴らしい民主主義体制の産物であり、

とんでもない過ちをしでかすはずがない。

われわれの為政者、学者、政府の専門家たちが

ベトナムのためにいいと考えた体制は正しいに決まっている。


なぜなら、このアメリカという国は世界で最も偉大な国であり、

自由世界のリーダーなのだから。
【94】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

ヒラマサ☆ (2015年07月28日 09時16分)

某所での書き込みは確認しました 私が知る限り3段階ぐらいで

量が増えてた^^ よければ話を聞くが…


但し、最大限の配慮はすること(書きにくくなるが)でいかが?
【93】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月28日 08時55分)

≪ページ19≫



人間のものの考え方には一種の慣性が伴うものである。


いったんある考え方が行動に移されると、

それに対立するいかなる証拠を突きつけられようと、

その行動は動きを止めようとしない。


ものの考え方を変えることには

相当の努力と苦しみが伴う。


これにはまず、

自己不信と自己批判の姿勢を絶えず維持し続けることが必要であり、

あるいは、自分がこれまで正しいと信じてきたことが

結局は正しくなかった、

という苦痛を伴った認識を持つことを要求される。


そのあとには、混乱が生じる。


これは実に不快な混乱である。

もはや正しいことと間違ったことの判断、

いずれの方向に進むべきかの判断が自分につかないように思われる。


しかし、そうした状態こそ、偏見のない開かれた心の状態であり、

したがって、学習と成長の時である。


混乱と困惑の流砂の中からこそ、

新たな、より優れたものの見方へと飛躍することができるのである。


ソンミ村事件当時のアメリカを動かしていた人たち、

すなわち、ジョンソン政権は、

怠惰であったと同時に自己満足に陥っていたと考えられる。


彼らは、普通の人間の大半がそうであったように、

知的困惑を好んでいなかったし、

「絶えざる自己不信と自己批判の姿勢」

を維持するうえでの努力を好んでいなかった。


彼らは、それ以前の20年間に身につけてきた

「一枚岩的共産主義の脅威」

という見方が依然として正しい見方である、

との前提に立ってものを考えていた。


そうした見方に

疑いを投げかける明白な証拠が山積していたにもかかわらず、

彼らはそれを無視したのである。


それを認めることは、

自分のものの見方を考え直さなければならないという、

苦しくも困難な立場に自らを追い込むことになるからである。


彼らは必要とされていた努力を怠っていた。

何事も変わっていないかのように、

盲目的な行動を続けるほうが楽だったからである。



ナルシシズムにとらわれている個人や国家には、

自分の考え方やモノの見方が間違っているかもしれない

と想像することすらできない。


われわれは、

表面的には、自分が絶対に正しいなどとは言わないようにしているが、

心の奥底では、特に自分が成功し、権力を持っていると思われるときには、

自分は常に正しいと考えてしまう。
【91】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

ヒラマサ☆ (2015年07月27日 09時23分)

久しぶりかな? どうも、世界のヒラマサです

失礼な質問かも?だが、カンパチ君はステハンの所有権を

乗っ取ることが出来るのは理解してるのかな?


「カンパチ」というハンドルを大事にしてもらいたい!

放棄してしまったら、知名度に比例してそれなりの混乱

が起きるので注意してもらいたい!


ということを一応お伝えに来ました
【90】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月27日 08時50分)

今日も雨。



ここ数か月、晴れた日が、2日と持たないな〜。
【89】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月26日 20時37分)

≪ページ18≫



アメリカ軍の誇りは決定的に傷つけられていた。

軍にとって、悪に走る条件は十分に整っていたのである。


強度の自己愛(ナルシシズム)にとらわれた人間(=邪悪な人間)は、

自己の完全性イメージを脅かす相手に対しては、

誰れ彼れお構いなしに攻撃を仕掛ける。


それとまったく同じように、1967年後半には、

あらゆる集団が陥りがちな

強度のナルシシズムにとらわれていたアメリカの軍組織が、

本来ないはずの残忍性と欺瞞をもって、

自己の尊厳を踏みにじられていたベトナム国民に攻撃を仕掛けたのである。


ソンミ村虐殺事件はその規模において他に類を見ないものではあったが、

米軍による小規模な虐殺は

当時のベトナムの至るところで行われていたと疑うに足る根拠は十分にある。


ソンミ村事件は、単にバーカー任務部隊だけでなく、

アメリカのベトナム進出全体を通じて支配していた

残虐性と邪悪性の流れの中で起こったもの、と言って差し支えない。




アメリカ国民は、基本的には、

次の3つの考え方の結び付いたものを理由として

あの戦争を戦ったのである。


(1)共産主義は、人間の自由全般、
 
   特にアメリカの自由に敵対する一枚岩的悪の勢力である。


(2)共産主義に対抗する勢力の先頭に立つことが、
   
     世界最強の経済国アメリカの課せられた義務である。


(3)共産主義というものは、それがどこで発生しようと、

     必要とするいかなる手段を用いても排除すべきものである。



アメリカのベトナム介入は、

こういった、一枚岩的共産主義の脅威が現実的なものに思われていた

1954年から56年に始まったものである。


しかし、その10数年後には、

もはやこうした考え方は非現実的なものとなっていたが、

にもかかわらず、

まさにそれが非現実的なものとなったその時に、

つまり、アメリカがその戦略の見直しを行い、ベトナムから撤退すべき時に、

その旧弊化した考え方を守るために

アメリカはベトナム軍事加入を大きくエスカレートさせたのである。


なぜだろうか。

なぜ、1964年ごろに至って、

ベトナムでのアメリカの行動がますます現実から離れ、

妥当性を欠いたものとなったのだろうか。
【88】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月25日 17時26分)

慈母を560回まわしてしまいました。



単発でした。
【87】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月24日 17時20分)

さっき、ニュースを見てて、思ったこと。


関東では、落雷があったそうで、

一般の人(70歳くらい)が、テレビ局の記者か誰かにインタビューを受けて、


「戦車が落ちてきたような音でした」

と言ってました。



この人は、「戦車が落ちてきたときの音」というのを聞いたことがあるのだろう。

すげーなー。



戦車が落ちるとしたら、どこからどこに落ちるんだろう。
【86】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月24日 11時11分)

先日の北斗6。


ケンvsラオウリーチになったので、

当たるわけないし、

レイがラオウに突き刺されるシーンを見るのが嫌で、

画面を見ずに、下向いてたら、


なぜかトキの声。


「えっ、なんで」


と、画面を見たら、やっぱり、トキが。

トキとラオウのバトルが始まりましたが、

いつものトキvsラオウリーチとは様子が違いました。


演出を眺めてたら、

ラオウがトキの足を踏んずけて、自分の足とトキの足を剣で串刺し。


このシーン、原作を初めて読んだ時も、

結構、ショックでした。


当たりだったけど、後味の悪いシーンですわ。
【85】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月24日 07時28分)

≪ページ17≫


今一つ考えるべきことは、

技術面での1960年代アメリカ軍の性格である。


当時は、技術全般、特にアメリカの技術に対する我々の信仰が

頂点に達していた時代である。


その意味では、

殺しをも含めてあらゆるものを容易かつ効率的に行うための

機械、装置、設備に対するアメリカ社会全体の心酔が、

軍に反映されていたということができる。


というより、当時は、ベトナムが新しい軍事技術の理想的実験場となっていた。


そのもたらした結果の一つが、

ブルドーザー、兵器、精密爆撃、枯葉剤

といったものを駆使した「技術騒ぎ」であり、

もう一つの結果が、

犠牲者の姿を目にすることすらないという、

犠牲者に対する情緒的距離感である。


つまり、ベトナム人の体に火を放つのはナパーム弾であって、

我々ではなかったのである。


殺しを行っていたのは、飛行機であり、戦車であり、爆弾であり、迫撃砲であって、

我々ではなかった。


ソンミ村では面と向かった殺しが行われたが、

しかし、技術戦が我々の感受性を鈍らせた結果が、

そうした残虐性となって現れたのである。


長年こうした技術を使用することによって、

良心の隔絶という効果がもたらされていたのではないか。


しかし、我々の技術や軍事専門知識、アメリカン・ノウハウの総力を結集してなお、

ベトナムでは戦果が上がらなかった。


アメリカは地球最強の国だったはずである。

アメリカの歴史を通じて、戦争に負けたことは一度もなかった。

ところが、信じがたいことが起こったのである。


1967年から68年にかけて、

それまで考えてもみなかった恐ろしい現実を我々は意識し始めていた。

アメリカが戦争に勝てないという現実である。


この信じがたい現実を最初に身を以って体験し始めていたのが、

現地にいた軍である。


このアメリカの屈辱という激しい痛みの一撃を一身に浴びたのが、

あの敗北を知らなかったアメリカ軍である。


ソンミ村事件当時、つまり1968年前半のアメリカ軍は、

あたかも自信に満ちた巨大な動物が

突如、どこから飛んでくるともしれない無数の矢に射られ傷つき始めた

という状態にあった。

怒りと混乱のうちにのたうち、唸り声をあげていたのである。


追い詰められ傷ついた動物が、

特に残忍かつ危険なものになるのは自明の理である。
【84】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月22日 21時25分)

≪ページ16≫


軍の中核となっているのは、

20年、30年の軍歴を積んできた古参職業軍人である。

軍という組織の性格を決定づけているのはこうした人たちである。


むろん、国防長官を長とする文民主導の管理に

何らかの形で従っていることも事実である。

しかし、国防長官は絶えず変わる。

また、徴募兵や4年勤務の志願兵も絶えず入れ替わる。


ところが、古参職業軍人はそのまま居続ける。

軍隊というものに連続性のみならず軍人魂なるものを付与しているのは、

まさしくそうした人たちである。


われわれ人間は、自分自身の社会的意義を意識するように作られている。

自分が望まれている存在、役に立つ存在であるという意識は、

何にもまして喜ばしいものである。


その反対に、自分が役に立たない、望まれていないという意識ほど、

人を絶望に陥れるものはない。


平和が続いている間は、

軍人は無視されるか、あるいは、せいぜい必要悪として国から扱われ、

国家に寄生する哀れむべき寄生動物という見方をされることも多い。


ところが戦時には、軍人が再び必要な人間となり、

有用というだけでなく

絶対不可欠のものと社会が見なしている役割を担うようになる。

ヒーローとなるのである。


だとすると、ごく普通の職業軍人が、

意識的であれ、無意識であれ、

戦争を望み、待ち焦がれるのは当然のことである。


自分の職業に伴う強力かつ必然的な心の偏向を克服し、

平和のために働き、平和を論ずることができるのは、

通常以上に高徳かつ精神的偉大さを備えた少数の軍人のみである。

こうしたまれにみる有徳の士、無名の英雄の出現はまず期待できない。


それどころか、

軍人というものは、常に戦争を支持し、戦争の側に立つものである、

ということを我々は十分に覚悟すべきである。


そんなはずはないなどと考えることは、

子供っぽい、非現実的な考え方である。


1968年当時のアメリカ合衆国軍は、

いやいやながらベトナムでの戦闘に加わっていたわけではない。


当時の職業軍人の間に広まっていたものの見方は、

疑念や慎重さ、あるいは抑制を伴ったものではなかった。

そこにあるのはただ熱狂のみである。


「よーし、やっつけよーぜ」

といったたぐいの熱狂的興奮が、

合衆国大統領にして、合衆国軍最高司令官ジョンソンによって、

是認されていたのである。
【80】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

ナイスパー (2015年07月22日 20時31分)

カンちゃん、久しぶり

こんなんありました、笑ってやってくださいw

あっ余計なお世話なら削除してなあまりにおもろすぎるから
貼り付けてしもた(^^;

【436】   RE:懲りてねぇ...      

TAKERU@ (2015年07月22日 20時10分)
       
これは 【435】 に対する返信です。 

ラフィさん


今回も色々とありがとう!

俺の事で頑張ってくれたのに
そんな謝らないで下さい。
本当にありがとう(^^*)なのです。




実は、
ラフィさんがアイツと話をするとこ
とても見てみたかったんだよね
俺の一連の行動の発端は、
【編集】(1年半?くらい前の発端)
ゆっき。と貴女を仲直りさせたい
そしてアイツとも打ち解けられなくても
話をして少しでも互いの誤解を
解いて欲しいと思って始めたのです。



ところが色んな事が起き
俺も自分の目標通りに事が進まず
いつしか ただの嫌な奴に成ってたw

もう。戻れなく成っちまったけど
自分の考えを悔いることなく
たとえPW参加者全員に非難されても
(・∀・)へこたれずにやってきます。

ラフィさんも自板を楽しく続けてください。

ありがとうございました。
 

 

【79】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月22日 19時08分)

≪ページ15≫


忘れてならないことは、いやしくも軍隊というものが必要なものであるならば、

それは、常に痛みを伴ったものでなければならない。

即ち、完全徴兵制(=非志願兵制度)こそ、

軍隊を健全に保つ唯一の道である。


人を殺さなければならない時には、

自分に代わってダーテイーワークを引き受けてくれる

プロの殺し屋を雇ったり訓練したりして、

殺しに伴う流血を忘れてしまうようなことがあってはならない。


徴兵制なき軍隊(=志願制軍隊)は、その機能が専門化するだけでなく、

その心理においてもますます専門化するものである。

つまり、新鮮な空気を軍に吹き込むことができないからである。


殺しを行わなければならない時には、

それに伴う苦痛や苦悩を真正面から受け止めるべきである。

さもないと、我々人間全体が

自分を自分の行動から隔離することによって

邪悪なものになってしまう。


なぜなら、悪というものは、

自分自身の罪の意識を拒否することから生じるものだからである。


完全徴兵制を望まないというのであれば、

軍隊そのものを持たないことを選択するしかないであろう。
【74】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月21日 10時22分)

≪ページ14≫


これには数多くの要因が絡んでいるが、

その最も重要な要因となったのは、

一般には認識されていないことではあるが、

1969年に至るまでは

徴兵された兵隊が大量にベトナムに送られることがなかった、

という事実である。


志願した兵隊だけがベトナムに送られていた頃には、

アメリカの大衆の大多数の目が覚めなかったのもごく当然のことである。


ベトナム行きなど夢にも望んでいなかった自分たちの兄弟、息子、父親が

ベトナムに送られるようになってから、

アメリカの大衆が慌て始めたのも当然のことである。


3つ目に重要なことは、

6年もの間、アメリカ国民は、アメリカの一般大衆全体を、

大きく、直接的に巻き込むことなく、

あの比較的大規模な戦争を行うに十分な数の

専門化された殺し屋(兵士)を雇っていたという事実である。


自分たちが直接巻き込まれていない以上、

一般大衆の多くは、

自分たちの生み出した殺し屋たちに

「彼らのしたいこと」をやらせて満足していたのである。


この殺しの専門家たちの数が底をつき始めるまで、

一般大衆は戦争の責任を引き受けようとしなかったのである。


これが、専門化集団に伴う第3の問題として、

目を向けなければならない点である。


これは、看過することのできない、

恐ろしい現実を我々の眼前に提示してくれるものである。


その現実というのは、

単にその専門家たちにしたいことをさせるだけで、

大規模の専門化集団が、

情動的になんらの痛みも感じることなく

悪を犯すということがあり得る、というだけでなく、

容易に、また、自然に起こり得るという事実である。


これがベトナムで起こったことであり、

ナチス・ドイツで起こったことである。

これが再び繰り返されるのではないか、と懸念される。


専門化グループを編成する時には、

それに伴う潜在的危険性を認識し、

その危険性を最小限にとどめるようにすべきである。


アメリカ社会は、現在、「完全志願制」による軍隊を設けている。

それが我々全員に害を及ぼさないという理由で。


ベトナム戦争によって引き起こされた反戦感情によって、

これまで以上に徹底して専門化された軍隊を選び、

それに伴う危険性を看過するという反動が生じている。


完全志願制、即ち、雇い兵的制度を採ることによって、

市民兵士という考え方が退けられ、

より大きな危険を招いているのである。


ベトナム戦争の悲惨さを忘れ去った時に、

志願兵制度によって、

海外でのちょっとした冒険に再び巻き込まれる、

ということは容易に考えられることである。


こうした冒険によって軍の活力を維持し、

実物大の戦争ゲームを提供することによって、

軍の勇猛さを試すこともできる。


しかも、それが手遅れになるまでは、

一般アメリカ市民が苦しんだり巻き込まれたりすることもない。


この専門化集団は、近親交配を続け、

軍隊独特の価値観を強化し、

そして、再び自由に行動することを許された時には、

ベトナムで見られたと同じように殺気立って凶悪化すると考えられる。
【72】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月21日 10時16分)

≪ページ13≫


平和主義的意識はそれほど高くはないけれども、

戦闘任務だけは逃れたいと考えていた人たちは、

通常、徴兵されるよりも、志願して軍に入る方を選んでいた。


志願することによって、空軍や海軍の任務、

あるいは、軍隊内の非戦闘的専門任務を選ぶこともできたのである。

そうした任務に就けば、ベトナムに上陸させられるようなこともまずなかったからである。


ところがバーカー任務部隊は、

戦闘的軍務を意識的に選んだ生え抜きの軍人か、

あるいは、同様の若い『徒歩戦闘員』のいずれかで構成されていた。


ソンミ村事件以後も、1968年末までは、

アメリカのベトナム派兵は志願者中心に行われていた。

職業軍人にとって、ベトナムに派遣されることは望ましいことであり、

従って、希望者も多かった。


なぜなら、ベトナムに送られれば、勲章、特別手当、

また、何ものにも代えがたい昇進が約束されていたからである。  


C中隊やバーカー任務部隊は平均的アメリカ市民を代表するものでは決してない。

任務部隊の隊員全員が、それぞれの経歴や自己選択によって、

また、米軍部およびアメリカ社会全体によって設けられている選別制度で選ばれ、

1968年3月にソンミ村に送られたのである。


このバーカー任務部隊の専門化された人的構成は、

3つの大きな問題を提起するものである。


1つ目が柔軟性の問題である。


C中隊は専門化された殺し屋の集団だった。

この中隊に加わっていた個人は、

何らかの理由で殺し屋的役割を引き受ける性向を持ち、

また、制度によってそうした役割に意図的に引き込まれた人間たちである。


しかも、我々社会が、そうした役割を果たすための訓練を彼らに施し、

それを実行するための武器を与えたのである。


そのほかの様々な誘因となった状況を考え合わせると、

彼らが無差別殺人を行ったとしても何の不思議もない、ということになる。


我々が彼らにさせた行為に対して、

彼ら自身がさほど罪の意識を感じていないように見受けられたとしても

別に驚くべきことではない。


専門化集団に加わるよう奨励され操られた人間に対して、

自分たちの専門領域をはるかに超えた

幅の広いものの見方を期待するなどということは、

非現実的なことである。


2つ目は、スケープゴーテイングである。

あの決定を下したのは、むろん、兵士個人ではない。

カリー中尉でもなければ、その上官のメデイナ大尉でも、バーカー中佐でもない。

これは、アメリカの下した決定である。


その理由はどうあれ、アメリカが殺しを行うことを決定したのであり、

また、その殺しを実行した人間に関して言うならば、

彼らはアメリカの命令に従ったまでのことである。


アメリカ社会が、意図的に彼らを選び、雇い、

アメリカにとって「汚れ仕事」である殺しを、

アメリカに代わって彼らにやらせたのである。


その意味では彼らは皆、アメリカ国民のスケープゴートとなった人間達である。


このスケープゴートの問題がクローズアップされたのは、

一つには反戦運動の歴史においてである。


1965年頃には、

すでに、ベトナムにおけるアメリカの役割に対する批判が

広がり始めてはいた。


しかし、ベトナム反戦運動が根付いたのは70年以降のことである。

なぜ、反戦運動の根付きが遅れたのであろうか。
【71】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月21日 00時41分)

≪ページ12≫


専門化には潜在的に悪が伴うということはすでに述べた。

一方、専門化された個人は、

道徳的責任を

組織内の他の専門化された人間、あるいは組織そのものに転嫁しがちとなる。


個人が集団内において

追随者としての役割を演じるときに生じる退行もまた、

この専門化に関係を有するものである。


追随者というのは完全な人間ではない。

考えもしなければ指導もしないという立場を受け入れた人間は、

思考能力や指導能力を放棄した人間ということになる。


また、考えたり指導したりすることが

その人間の専門外のこと、あるいは任務外のこととなるため、

ついでに良心までも捨て去ることになりがちである。


専門化された集団にも、同様に危険な力が働くことが分かる。


バーカー任務部隊は、専門化された集団だった。

複数の目的を持った集団ではない。

1968年当時のベトナムクアンガイ省内のベトコンを見つけ出し、

これを壊滅させるという、

高度に専門化された、

ただ一つの目的のためにのみ存在していた集団である。


この専門化という問題を考える際に忘れてならないことは、

専門化というものは

偶然あるいは無作為に行われることはまれだという事実である。


専門化というのは、通常、きわめて選択的に行われるものである。


例えば、医師という専門的職業に就いた個人は、

偶然に医師になったわけではない。

その個人自身が医師になることを選んだのであり、

この専門化された役割を果たすうえで必要とされる仕事を選択的に行う。

しかも、この役割をその個人自身が選んだというだけでなく、

社会がこの役割のためにその個人を選んでくれたのである。


数多くの段階を経て、

医師という資格がその個人にあるかどうかがチェックされたのである。


専門化集団というのは、いずれも、

自己選択と集団選択の結果生まれた特殊な集団である。


バーカー任務部隊は専門化された集団であり、

クアンガイ省において

索敵掃討作戦を遂行するという唯一の目的のために存在していた。


しかも、この部隊の編成は、大々的な選別と自己選択によって行われたものである。

当時は、徴兵制が敷かれ、一般市民が軍に徴用されていたが、

しかし、バーカー任務部隊を

一般アメリカ市民の無作為抽出サンプルとしてみることは無理である。


平和主義的アメリカ市民の多くは、

カナダに移住したり、良心的兵役拒否を唱えて徴兵を逃れていた。
【70】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月20日 17時30分)

2,3日前、運転中のFMから、聞き覚えのあるイントロ。


「夕暮れの、街角、

 のぞいた喫茶店、

 微笑み、見つめ合う、

 見覚えある、フ・タ・リ」


曲が終わって、DJが

「石川ひとみさんでした」。



そうだな〜、オレとしては、

「三木聖子」の方がよかった。


「恨み」がこもってたし。


「もうすぐ、あたし、き〜っと、

 あなたを振り向かせる〜っ!!」



この頃の、今でいうJ−POP,には、

恨み節、敗北者感があふれてたような。



「あたし、待ーつわっ!

 いつまでも、待ーつわっ!

 たとえ、あなたが振り向いてくれなくてもーーーっつ!!!』


POPではないけど、


「着てはもらえぬセーターを、

 寒さこらえて、編ん〜でます」






                        なあ、あきらめろよ。
【69】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月20日 21時25分)

≪ページ11≫


バーカー任務部隊には予め決められた敵がいた。

ベトコンがそれである。


しかし、ベトコンの大多数は南ベトナム現地の住民で、

一般人とベトコンの見分けが付かないことが多い。


こうして、ほぼ不可避的に、

「特定の敵」がベトナム人すべてを意味するように一般化され、


一般のアメリカ人は、

ベトコンを憎むだけでなく、

ベトナム人全体を憎むようになる。


集団凝集性を強化する最善の方法が、

外部の敵に対する憎しみを助長することだ、

とは広く知られていることである。


外集団の欠点や「罪」に関心を向けることによって、

グループ内の欠陥は、

容易に、なんらの痛みも感じることなく看過される。


こうして、ヒトラー時代のドイツ人は、

ユダヤ人をスケープゴートにすることによって

国内問題を無視するようになったのである。


また、第二次世界大戦中、

ニューギニア戦線で米軍の戦果がはかばかしくなかったとき、

司令部は、日本人の残虐性を描いた映画を見せることによって、

部隊の集団精神の高揚を図っている。


しかし、こうした集団的プライドの利用は、

無意識のものであろうと意図的なものであろうと、

潜在的に邪悪なものである。


邪悪な個人は、自分の欠陥に光を当てるすべての物、

あるいは、すべての人間を非難し、抹殺しようとすることによって

内省や罪の意識を逃れようとする。


同様に、集団の場合にも、

当然、これと同じ

「悪性の自己愛(=プライド)」に支配された行動が生じる。


こう考えると、

物事に失敗した集団が

最も邪悪な行動に走りやすい集団だ、

ということが明らかとなる。


失敗は我々の誇り(=プライド)を傷付ける。

傷を負った動物はどう猛になる。


一般に、健全な有機体組織においては、

失敗は内省と自己批判を促すものである。


ところが、邪悪な人間は自己批判に耐えることができない。

従って、邪悪な人間がなんらかの形で攻撃的になるのは、

自分が失敗した時である。

(ヤクザ映画を観てると、それがよくわかりますね)


これは、集団にも当てはまることである。

集団が失敗し、それが集団の自己批判を促すようなことになると、

集団のプライドや凝集性が損なわれる。


そのため、国を問わず、時代を問わず、

集団の指導者は、その集団が失敗した時には、

外国人つまり「敵」に対する憎しみをあおることによって、

集団の凝集性を高めようとするのが常である。


ソンミ村事件当時のバーカー任務部隊の作戦(索敵掃討)は失敗であった。


(索敵掃討とは、敵を見つけ出し、殲滅すること)


1か月もの時間を作戦地帯で費やしながら、

敵と交戦することすらできなかった。


つまり、敵を見つけることができなかった。


にもかかわらず、アメリカ兵の死傷は

徐々にではあるが確実に増えていた。

これに対して、敵の死傷者数はゼロである。


任務ーーーそもそもこの任務というのは敵を殺すことであるーーーに失敗した集団の指導部は、

ますます血に飢えていた。

あの状況にあって、この飢えは見さかいのないものとなり、

隊員たちはやみくもに飢えを満たそうとしたのである。
【68】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月20日 09時16分)

≪ページ10≫


ソンミ村のような状況のもとでは、

一人一人の兵隊が

ほとんど有り得ないような状況に置かれる。


一方では兵隊たちは、

「軍人といえども

 自分の良心を捨て去るようなことは要求されない、

 不当な命令を拒否する成熟した判断力を持つべきである、

 というより、これは義務である」

といった、どこかで教えられたことを 

おぼろげながらも記憶している。


ところが、一方では、

軍隊の組織とその集団力学が、

兵隊が独立した判断力を働かせ、

あるいは服従拒否を実行することを、

可能な限り苦痛かつ困難かつ不自然なものにする方向に

全力を挙げて働く。


C中隊に下された命令が、

「動くものはすべて消せ」

というものであったかどうか、

あるいは

「村を廃墟にしてしまえ」

というものであったかどうかは定かでない。


しかし、もしそうした命令が下されていたとすれば、

隊員たちがその命令に従うことに何の不思議もない。


それとも、集団で反抗することを彼らに期待すべきだろうか。

集団で反抗すること、つまり反乱は無理だとしても、

上官に反抗する勇気を持ち合わせた人間が、

少なくとも数人はいたはずだと

期待できないものだろうか。


しかし、これは必ずしもそうはならない。


集団の行動パターンは驚くほど個人の行動に似ている。

これは、一つの集団というものが一つの有機体組織だからである。


この有機体組織は単体としての機能を持っている。

個人の集まりである集団が、

「集団凝集性」

と呼ばれるものによって個体として行動するのである。


集団内では、

個々の構成員の結束と調和を維持しようとする大きな力が働く。

こうした凝集力が失われると、

その集団は解体を始め、

集団ではなくなるのである。


この集団凝集力として最も大きな力を持っているのが、

集団のプライド(=誇り)である。


グループの構成員が

自分の所属するグループに誇りを抱くと同様に、

グループ自体が自分自身に対して誇りを抱くようになる。


ここでもまた軍隊は、

他の多くの組織以上に、

意識的に集団のプライドを高める方向の動きをする。


集団を象徴する様々なもの、

隊旗、そで章、

あるいは,

グリーンベレーなどの特殊部隊の場合には

特別の軍服、

を作り、

また、隊内スポーツ大会から、

隊ごとの敵の戦死者数(ボディー・カウント)の比較

といったことに至るまで、


競争を奨励することによって

集団のプライドを高めようとする。


あまり感心しないことではあるが、

現実に広く見られる集団的プライド(愛国心、愛校心、愛社精神など)を形成するには、

「敵を作る」こと、

すなわち「外集団に対して憎しみを抱く」ことである。


これは、初めて集団を組むことを学んだ子供たちにも

自然に発生するものである。


自分の集団に所属しない人間は、

劣った人間、か、悪い人間、

あるいはその両方であるとして見下される。


その集団にまだ敵がいないときには、ごく短期間に敵が作られる。
【66】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

ヒラマサ☆ (2015年07月20日 07時45分)

乙 精読してるぜ

ところで元の【2】は消した?消された?

後々触れなきゃならん核となる部分だったのだが
【65】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月19日 07時58分)

≪ページ9≫


ところで、

人間はストレスを受けたときに退行するだけでなく、

集団環境の中においても退行を見せるものである。


これが信じられないというのであれば、

様々な集会やカレッジの同窓会を見ればうなずけるはずである。


この退行の一つの現われとして、

リーダーに対する依存心という事象が挙げられる。

これは驚くほど明白に現れる。


互いに知らない人達の小集団、

例えば10数人程度のグループが集まったときに、

まず最初に何が起こるかといえば、


その中の1人か2人の人間が

すばやくグループのリーダー役を買って出ることである。


これは、意識的に選ぶといった

合理的過程を経て行われるわけではない。


ごく自然な形で、自然発生的、無意識的に起こるものである。

なぜ、こうしたことがすばやく、しかも容易に行われるのであろうか。


その原因の一つとしてあげられるのが、

言うまでもなく、

他の人達に比べてリーダー役に適している人間、

あるいは、リーダーになりたいという欲求の強い人間がいるということである。


しかし、これとは逆の、より基本的な原因もある。

つまり、大半の人達は、リーダーとなるよりはむしろ

追随者となることを好むという事実である。


これは、何よりもまず、怠惰の問題として考えることができる。

人に従うことは容易なことである。

指導者となるよりは追随者となるほうがはるかに楽なことである。


複雑な決定を下すに当たって

苦悩したり、前もって計画を立てたり、

率先して物事を行ったり、不評を買う危険を冒したり、

あるいは勇気をふるったりする必要がないからである。


追随者の役割を演じるということは、

子供の役を演じることである。


成人した人間は、

個人としては船長であり、

自分の運命を決定する支配者である。


ところが、追随者としての役割を演じているときには、

自分の支配力、つまり、自分自身に対する権威、

意思決定者としての自分の成熟性を

指導者に譲り渡してしまう。



子供が親を頼りにするように、

リーダーに対する心理的依存が生じる。


こうして、普通の人は、いったん集団の一員となるや、

たちまちにして情動的退行を引き起こす。


(飲み会の二次会をどこにするか、となった時、そういうことが起きますね)


バーカー任務部隊C中隊の第一小隊は、

リーダーを育てるためのものではなく、

ベトコンを殺すことを目的とした集団である。


古くから言われてきたことであるが、

兵隊はものを考えるべきではないとされている。


隊長はグループ内で選ばれるわけでなく、

上層部から指名され、

意識的に権威の象徴を身にまとうものである。


服従(忠誠)が軍の規律の第一のものとされている。

隊長に対する兵隊の依存は、

単に奨励されるというだけでなく、

絶対命令となっている。


軍隊というものは、その使命の性格からして、

集団内の個人の自然発生的退行依存(=幼児化)を意図的に助長し、

おそらくは、現実にこれを育てているものと思われる。
【64】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月19日 07時49分)

≪ページ8≫


邪悪性というのは一種の未成熟の状態であると考えることができる。

未成熟な人間は成熟した人間より悪に走りやすい。


我々は、子供の無邪気さだけでなく、

その残酷さに驚かされることがある。


成人であれば、

ハエの羽をむしりとって喜ぶ者はサディスティックな人間とみなされ、

邪悪な人間ではないかと疑われる。

これは当然のことである。


しかし、同じ事を行う4歳の子供は、

注意されることはあっても、

それは単なる好奇心からだとみなされる。


ストレスに直面したときに退行を起こすのが普通だとするならば、

我々人間は、ストレスを受けているときのほうが

快適に過ごしているときよりも悪に走りやすい、

ということができるのではなかろうか。


50人から500人もの人間(その中で邪悪な人間はほんの一握りだったと思われる)の集団が、

ソンミ村虐殺のような残虐行為を行うなどということがなぜ起こるのか、

との疑問を我々は抱く。


これに対する一つの答えとして、

バーカー任務部隊の隊員たちは、

彼らが被っていた慢性的ストレスのせいで

より未成熟な状態に退行し、

そのため、通常の条件下にあるときより

邪悪になっていたということができる。


とはいえ、これは、

ソンミ村事件の邪悪性を構成する数多くの要素の一つに過ぎない。


邪悪性とストレスの関係について考える以上、

善とストレスの関係についても触れるべきだと思われる。


苦労のないときに立派な振る舞いをする人、

言うならば、順境のときの友、が、

いざという時、あまり立派な行動を取らないこともある。


したがって、ストレスとは「善の試金石」とも言うべきものである。


真の意味で善良な人とは、

ストレス下にあっても

自分の高潔さ、成熟性、感受性、思いやりを

捨て去ることのない人のことである。


高潔さとは、

状況の悪化に反応して退行することなく、

苦痛に直面して感覚を鈍らせることなく、

苦悩に耐え、

しかもそれによって影響を受けることの無い能力である、

と定義することができるかもしれない。


「人間の偉大さを測る尺度の一つが、

 そして、おそらくは

  最良の尺度と思われるのが、

 苦しみに耐える能力である」

ということができる。
【63】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月18日 09時09分)

あ、そうだ、この話を小出しにしてる理由だけど、


推敲を何度も何度も繰り返してるので、


なかなか、先に進まんのじゃ。
【62】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月18日 08時58分)

≪ページ7≫

ストレスに対する人間の反応として、

退行のほかにもう一つ、

『防衛』と呼ばれるメカニズムがあげられる。



広島その他の被災地の生存者について調査した

ロバート・ジェイ・リフトンは、

これを『精神的まひ』と呼んでいる。


我々には、

自分の情動的感覚があまりにも苦痛又は不快なものとなったときに、

自分自身をまひさせる能力がある。


これは単純なことである。


ズタズタに切り裂かれ、血にまみれた死体を一体だけ見たときには、

我々は恐怖を覚える。

しかし、

そうした死体を

来る日も来る日も身の回りに見ていると、

恐ろしいことが当たり前となり、

恐怖の感覚を失ってしまう。


恐怖を簡単に無視するようになるのである。

つまり、恐怖を感じる能力が鈍り、

もはや現実に血の色が『見えなく』なり、

悪臭が『におわなく』なり、

嫌悪感を『感じなく』なる。


無意識のうちに自分自身をまひさせてしまうのである。


この情動的自己まひの能力は、当然、それなりの利点を持ったものではある。

これは進化の過程を経て

我々の中に組み込まれたメカニズムであり、

我々の生存能力を高めてくれるものであることは疑いない。


というのも、

正常な感覚を維持していたならば

気が変になるような恐ろしい状況下にあって、

機能や役割を果たすことを可能にしてくれるのが『精神的まひ』だからである。


しかしながら、ここで問題となることは、

この自己まひのメカニズムが

危機的状況でのみに発動するとは思えないことである。


もし、我々が、ゴミの中で生活しているために

ゴミに対する不快感を感じなくなるならば、

我々自身がゴミを撒き散らす人間になる可能性がある。


自分の苦しみに対して無感覚になっていれば、

他人の苦しみに対しても無感覚になりがちである。


侮辱的な扱いを受け続けていれば、

自分自身の尊厳に対する感覚を失うだけでなく、

他人の尊厳に対する感覚をも失ってしまう。


切り裂かれた死体を見ることが気にならなくなれば、

自分で死体を切り刻むことを気にしなくもなる。


即ち、自分自身が残忍な人間になってしまえば、

他の残虐行為に対して無感覚になるのである。


したがって、

バーカー任務部隊が戦場で過ごした1ヶ月、

貧弱な食物、乏しい睡眠、そして戦友の死や重傷が続いた1ヶ月、

の後、

ほとんどの兵隊たちが、

心理的に未成熟な、原始的な、凶暴な状態に退行していた

と考えることができる。
【61】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月18日 08時53分)

≪ページ6≫

≪正気の人間が、

殺人を犯し、

にもかかわらず、

自分が殺人を犯したことに気づかない≫

などということが、なぜ起こるのだろうか。

邪悪でもない人間が、

自分のしたことに気づきもせずに大きな悪に加担する

というのは、

どういうことなのだろうか。


作戦地帯の兵隊の生活は慢性的なストレス状態にある。


軍は、可能なときには

娯楽を与え、休息やレクリエーションのための期間を設けるなどして、

ベトナムに送られた部隊のストレスを最小限に抑えるために

できるだけのことをしていたが、


現実には、バーカー任務部隊の隊員は

慢性的なストレスの下に置かれていた。


長期間、例えば、1週間程度、

苦痛や不快な状態に置かれたことのある人ならば

(例えば、歯を2,3本抜いて、数日間、痛みと腫れで、まともにモノが食べられないというような)、

その期間の心理状態を思い返してみていただきたい。


泣き言を言い、他人に当り散らす。

他人が絶えず自分の面倒を見てくれることを期待する。

ちょっとしたことが自分の望むときに望みどおりに行われないと、

目に涙があふれ、不機嫌が高じる。


心的機能の水準は3歳児程度に低下してしまう。

つまり、完全に自己中心的になる。


不快な状況に長期間置かれている人間は、

当然のことながら、

ほぼ不可避的に「退行」を示すものである。


心理的成長が逆行し、

成熟性が放棄されるのである。

急激に幼児化し、より未開の状態に逆戻りする。


不快感というのはストレスである。


つまり、人間という有機体組織は

長期のストレスに反応して

退行する傾向があるということである。


生まれ故郷とは反対の極にある世界に連れて行かれ、

食物は貧弱で、

害虫に悩まされ、

暑気に気力を失わされ、

およそ快適とは言いがたい場所で眠らされていた。


しかも、絶えず危険に脅かされていた。


この危険は、通常は、他の戦争のときほど大きなものではなかったとはいえ、

予測不能のものであったために、

より大きなストレスになっていたと思われる。


この危険は、

夜間、兵隊たちが安全だと思っているときに迫撃砲攻撃という形で訪れたし、

便所に行く道に仕掛けられた仕掛け爆弾、

美しい小道を散策している兵隊の足を吹き飛ばす地雷、

といった形で突然襲ってくるものだった。


あの日、

バーカー任務部隊が、

ミライ地区で

目指す敵の姿を発見できなかった

という事実も、

ベトナムでの戦闘の性格を象徴的に物語るものである。


ベトナム戦争の敵は、

予期していないときに、

予想もしていない場所に出没する敵である。
【57】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月17日 07時52分)

≪ページ5≫

この二つの犯罪(「虐殺事件そのもの」と「その隠ぺい」)は互いに密接に絡み合ったものである。


虐殺そのものに比べれば

隠ぺい工作のほうが凶悪性の程度が低いように思われるかもしれないが、

これは表裏一体のものである。


これほど多くの人間が、

これほど大きな悪に加担しながら、

良心の痛みから

「告白しよう」

という気持ちすら抱かなかったのはなぜだろうか。


隠ぺいというのは集団の大きな虚偽である。


この隠ぺいには

異常なほど結束した加担、

すなわち、

共同体的参加が見られるため、


バーガー任務部隊の隊員全員が

「虚偽の人々」であったということができる。


というより、今考えてみると、

少なくとも


「ベトナム戦争当時のアメリカ国民全体が

 虚偽の人々であった」

と結論付けることができる。


すべての嘘がそうであるように、

隠ぺいの第一の動機となるのは恐怖である。


犯罪を犯した人間(引き金を引いた人間、あるいは、その命令を下した人間)は、

当然、自分の行った行為が伝わることを恐れる。

彼らを待ち構えているのは軍法会議である。


しかし、

ただ殺戮を目撃しただけの人間の数のほうが

はるかに多いはずで、

こうした人達が

「暗い、血なまぐさい行為があった」ことについて

何も語っていないのはどういうわけだろうか。


彼らは何を恐れていたのだろうか。


バーカー任務部隊の隊員にとって、

この犯罪を外部に知らせるには

大きな勇気が必要だったことは理解できることである。


もし、外部に知らせれば、

「たれこみ屋」

「スパイ」

といったレッテルを貼られることは間違いない。


そうしたレッテルを貼られることほど恐ろしいことはない。


スパイは殺されることが多い。

少なくとも村八分の扱いを受けることは間違いない。


一般のアメリカ市民であれば、

村八分もそれほど恐ろしいことではないかもしれない。

「一つの集団から追い出されたら別の集団に加わればいい」というのが

一般市民の反応かもしれない。


しかし、軍隊というものは、

簡単に別の集団に加わればいいというようなものでないことを

忘れてはならない。


兵役期間が満了するまでは軍を離れることもできない。

脱営すること自体が大きな犯罪とされている。


したがって、軍籍にある者は軍に縛り付けられている。

というより、自分の所属するグループに縛り付けられるものである。


それだけでなく、

軍というものは、きわめて巧妙なやり方で

その階層内の集団の圧力を強めている。


集団の力学、特に軍人集団の力学という観点から考えるならば、

バーカー任務部隊の隊員が

この集団犯罪を他に漏らさなかったというのも、

特に奇妙なことではない。


また、この犯罪を報告した人間が

バーカー任務部隊に所属する隊員ではなく、

しかも除隊後にようやくこれを報告したという事実も、

別に驚くには当たらない。


にもかかわらず、

あれほど長い期間この犯罪が外部に知られることなく過ぎたことには、

今ひとつ、きわめて重大な理由があった考えられえる。


バーカー任務部隊の隊員が

自分たちの犯した犯罪を告白しなかったのは、

ある程度までは、

自分たちが犯罪を犯したという「意識」が

彼らに無かったからではないかという疑念がある。


無論、自分たちの犯した行為については彼らも知っている。


しかし、

その自分の行った行為の重大性や性格を

彼らが十分認識していたかどうかとなると、

これはまったく別である。


中には自分の罪の意識を隠していた者もいたとは思われる。


しかし、それ以外の大勢の人間は、

≪罪の意識すら持っていなかった≫

のではないか、と疑われる。


なぜ、こうしたことが起こるのだろうか。
【54】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月16日 16時39分)

≪ページ4≫


集団の行動は、個人の行動に比べて、

想像以上に原始的かつ未成熟なレベルにある。

なぜそうなのか、

なぜ集団の行動が驚くほど未成熟なのか、


これは複数の原因のもたらす結果である。

この原因の一つとしてあげられるのが

『専門化』という問題である。


集団のもつ最大の利点の一つが専門化である。

集団の方が個人よりはるかに効率よく機能することが多い。


自動車メーカーは、

その従業員が

重役、設計技師、工具・ダイス工、組み立てライン工というように

専門化されているために

膨大な数の車を製造できるのである。


我々が極めて高い生活を享受しているのも、

ひとえに、我々の社会が専門化していることによるものである。

したがって、専門化自体が悪いことだとは考えられない。


しかし、現代の集団的組織的悪の多くはこの専門化に関係しており、

専門化に対して我々は警戒心を身につける必要がある。


専門化については、

原子炉に対して抱くと同じ程度の

不信の念や安全対策を以って対処すべきである。


専門化は、様々なメカニズムによって、

集団の未成熟性やその潜在的悪を

助長するものである。


ここでは、とりあえず、そうしたメカニズムの一つを上げるに留めておくが、


それは、

≪良心の分散化≫

である。


ベトナム戦争当時、

仮にあなたが国防総省の廊下をうろつき、

ナパームの製造や、

それを爆弾の形でベトナムに持ち込む命令を下した責任者に語りかけ、

ベトナム戦争の道徳性、そして彼らが行っていることの道徳性

に対する疑問を投げかけたとすると、

間違いなくこういう返事が返ってきたと思う。


「君が心配していることはよく分かる。

 しかし、君は質問の相手を間違えていると思う。


 ここは軍需部門で、我々は兵器の供給を行っているだけだ。

 それがどう使われるか、

 どこで使われるかを決定しているわけではない。


 それは政策の問題だ。

 
 廊下の向こうにある政策部門の人間に質問してくれ」。


あなたがその人の言うとおりに

政策部門に同じ質問をしたとする。

その返事はこうなると思う。


「確かにこれには大きな問題のあることは分かるが、

 しかし、これは我々の権限外の問題だと思う。


 我々は、いかに戦争を行うべきかを決定しているだけであって、

 戦争を行うべきかどうかを決定しているわけではない。


 軍というのは行政府の一機関に過ぎない。

 やれと言われたことを軍はやっているに過ぎない。


 そういう大きな問題は

 ホワイトハウス・レベルの決めることで、

 軍の決めることではない。


 君の質問の相手はホワイトハウスだ」。


かくして、以下、同じことの繰り返しとなるはずである。


集団の中の個人の役割が専門化しているときには、

常に、個人の道徳的責任が

集団の他の部分に転嫁される可能性があり、

また、転嫁されがちである。


そうした形で個人が自分の良心を捨て去るだけでなく、

集団全体の良心が分散、希釈化され、


≪良心が存在しないも同然の状態≫


となる。


いかなる集団といえども、

不可避的に、

良心を欠いた邪悪なものになる可能性を持っているものであり、

結局は、個々の人間が、

それぞれ自分の属している集団・組織全体の行動に

直接責任を持つ時代が来るのを待つ以外に道は無い。

しかし、我々はまだ、そうした段階に到達する道を歩み始めてすらいない。


この集団の心理的未成熟性を念頭に置いた上で、

ソンミ村事件の二つの面、

すなわち、

「虐殺事件そのもの」と「その隠ぺい」

という二つの犯罪について考えてみたい。
【53】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月18日 14時50分)

≪ページ3≫


何が行われていたかは、

空中からも見て取ることができた。


彼はヘリコプターを着陸させて、

隊員たちを説得しようとしたが、

これは、無駄だった。



再びヘリコプターを離陸させた彼は、

司令部の上級将校に無線で連絡したが、

この将校は関心を示さなかったと言う。


あきらめた彼は、そのまま自分の任務に戻った。


虐殺に加わった隊員の数は、推定に頼るしかないが、

おそらく、実際に引き金を引いた者の数は50人程度であったろうと思われる。


しかし、200名近くの者がこの殺戮を直接目撃している。


(後に告発されたのは25名であるが、

 そのうち裁判に掛けられたのはわずか6名で、

 有罪となったのはカリー中尉ただ一人である)。


また、この戦争犯罪が行われたことは、

バーカー任務部隊の少なくとも500名の隊員の間に、

その週のうちに知れ渡っていたはずだ

と推測することができる。



犯罪の通報が行われなかったこと自体が犯罪である。


バーカー任務部隊の隊員は、

翌年になっても、

誰一人として

このミライ地区で起こった虐殺行為を報告しようとしていない。


こうした犯罪は『隠ぺい』と呼ばれる。


アメリカ国民がこの事件に付いて知るようになったのは、

事件後1年以上も過ぎた1969年3月末のことで、

ロン・ライドナーという一人の兵隊が、

この残虐行為について数人の議会議員に手紙を送ったことによる。


この兵隊はバーカー任務部隊の隊員ではなかったが、

ミライ地区進撃に加わった数人の戦友たちとの雑談中に事件の話を聞き、

除隊3ヵ月後にその手紙を書いたものである。


事件の現場で引き金を引いたのは一人一人の人間である。

命令を下し、それを実行に移したのも個人である。

結局のところ、人間の個々の行動は、

すべて、個々の人間の選択の結果である。


ソンミ村虐殺に加わった個人、

あるいはその隠ぺいに加わった個人の誰一人として、

その罪を逃れることはできないはずである。


ただ一人、殺戮をやめさせようとした

勇敢かつ善良なヘリコプター・パイロットですら、

目撃した事実を直属上官を超えて報告しようとしなかったということで、

罪を負っていることになる。


個人としては邪悪ではないと思われる

500人近くの人間の全員が、

ソンミ村で行われたような非道な悪に

なぜ加わったのだろうか。
【52】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月16日 16時08分)

アマラオさん、どうも。


アマラオさんのレスは、


正直言って、何のことか、さっぱり。


反応できる人は、なんかレスしておくんなまし。


すまぬ。
【51】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

アマラオ (2015年07月16日 09時37分)

上に続くかもしれない作品の途中に割り込む形で申し訳
ないのですが、昨日の私の書き込みの中で取り上げた明
らかに危ない人に、実際に何らかの個人情報をつかまれ
ている方々、共通する交友関係から情報が漏れてしまう
のではないか?と不安に思う立場の人が感じるリアルな
恐怖感に対する配慮が全く欠けておりました。謹んでお
詫び申し上げます。

狡猾に中点を使っていることで、逆に泥酔が理由などの
言い訳にはならない事、こんなひどいことを書いてるの
に、どうせ仲間内は適当な理由を付けて許すのだろう。
と思ったことを暗に皮肉ったものだったのですが・・・

申し訳なく思っています。
【50】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月18日 14時49分)

≪ページ2≫

ジュネーブ協定には、

非戦闘員に危害を加えること、

あるいは、

戦闘員であっても、

傷病のために武器を捨てた者に危害を加えることは犯罪とされている。


彼らがこの協定を十分に知っていたかどうかはともかくとして、

少なくとも一部の隊員の中には、

『合衆国陸軍野戦教範』にある地上戦に関する規則を知らない者もいたと考えられる。


これには、

ジュネーブ協定に反する命令は不当な命令であり、

そうした命令に従ってはならないと規定されている。


バーカー任務部隊の隊員は、

基本的には、全員が何らかの形で作戦に参加することになっていたが、

直接、作戦行動に当たっていたのは

第十一軽歩兵旅団歩兵第二十連隊第一大隊の

C中隊である。


このC中隊がミライ地区の集落に進撃したときには

一人の敵戦闘員の発見もできなかった。


つまり、武装しているベトナム人は

全く見当たらなかったのである。


また、C中隊に対して発砲する者もいなかった。

そこにいたのは、武器を持たない女、子供、それに老人だけだった。


事件の一部は不明のままとなっているが、

ただ、明らかなことは、


≪このC中隊の隊員が、

少なくとも500人から600人の武器を持たない村民を殺した≫


と言うことである。

村民たちは、様々な形で殺されている。


ある場合には、

隊員が民家の戸口に立ち、

家の中に小銃を乱射して、中にいた人間をやみくもに殺している。

他の例では、

逃げ出そうとした村民が、子供を含めて撃ち殺されている。


最大の殺戮はミライ第四地区の集落で起こったものである。


この集落では、

ウィリアム・L・カリー中尉の率いる第一小隊が、

村民を20人から40人ほどのグループに分け、

小銃、機関銃、あるいは手投げ弾で殺している。


もっとも、ミライ地区内のほかの集落でも、

他の将校の指揮下にあった小隊が

かなりの数の非武装住民を殺していることを忘れてはならない。


殺戮は長時間にわたって行われ、

午前中いっぱい続いたが、

これを制止しようとした人間が一人だけいる。


この策敵掃討作戦を支援するために飛行していた

四等准尉のヘリコプター・パイロットである。
【49】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月18日 14時48分)

安保法案が成立しそうなので。




ベトナム戦争の一真実。

『ソンミ村虐殺事件』

≪ページ1≫

1968年3月16日、

バーカー任務部隊(機動部隊)の一小隊が

南ベトナム、クアンガイ省(現キアビン省)ソンミ村の

ミライ地区と呼ばれていた一群の集落に進撃した。


小隊の任務は、典型的な『策敵掃討』、

つまり、ベトコン(南ベトナム民族解放戦線)兵士を見つけ出し、

これを殲滅することだった。


このバーカー任務部隊は、

ベトナムで行動していた他の部隊に比べて

とぢらかと言えば急ごしらえの寄せ集めの隊で、

それまで何の軍功も上げていなかった。


敵と交戦することもなく、

地雷や仕掛け爆弾で

隊内にかなりの数の死傷者を出していた。


クアンガイ省はベトコンの拠点と考えられており、

一般住民も、ほぼ共産ゲリラの支配下又は影響下にあるとされていた。

住民はゲリラを支援幇助し、

そのため、戦闘員と非戦闘員の区別が付けにくいと一般に考えられていた。


したがって、アメリカ兵たちは、

この地区のベトナム人に憎しみを抱き、

住民を信用していなかった。



陸軍情報部によると、

ベトコンはミライ地区の住民にかくまわれているとの事で、

そのため、地区内に潜んでいるベトコン戦闘員を見つけ出すのがこの部隊の任務とされていた。


作戦の前夜には予感のようなものがあり、

ようやくにして部隊が敵と交戦し、

進撃の目的を果たすことができる、

とのムードが隊員たちを支配していた。



その夜、下士官や下級将校に与えられた上層部からの指令は、

戦闘員と非戦闘員の区別については、

せいぜい、あいまいなものでしかなかった。


全隊員がジュネーブ協定を十分に心得ていることにはなっていた。
【48】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月15日 17時53分)

な〜んか、



レスが微妙に消えてるな〜。
【40】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

午前会議 (2015年07月14日 23時39分)

裁縫が上手な女性が好きです
【39】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

咲(サキ)SAKI (2015年07月14日 20時15分)

カンパチさん、お部屋の皆さんこんばんは♪



今宵は、タケルのお迎えに参りました。
皆さま、お騒がせしまして申し訳ありません。




タケル、帰るよっ(´・_・`)
タケルが暴れたら、
誰が一番困るか考えてみてくれないかな?
【36】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

姫って言わないで (2015年07月14日 18時21分)

お前の意中にハマったとでも
ほくそえんでるのか?

どこまで愚かなんだ ボンクラ
【34】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月14日 18時16分)

>いますぐ 落とせ ボンクラ


やだ。



タケルっちが、ゆっき☆とrozaを嫌う理由が、よーく分かった。



もう一回、あのレスを載せたる。
【33】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

姫って言わないで (2015年07月14日 18時11分)

ゆっき

キサマ
 
完全に俺の感に触りまくりなんだよ

覚えてろ

許してください は、通らねーぞ
 
【32】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

姫って言わないで (2015年07月14日 18時10分)

もう。どーなってもかまわん
キサマら全員 一生許さねーから覚悟しろ
【31】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

姫って言わないで (2015年07月14日 18時07分)

カンパチ
ゴキブリ
糞ババー
どーしよーもねー馬鹿女
すてHNころがしの卑怯者

PWのゲス集団
 
【30】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

姫って言わないで (2015年07月14日 18時06分)

てめーら 基地害だろ
【29】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

姫って言わないで (2015年07月14日 18時05分)

カンパチ

いますぐ 落とせ ボンクラ

たいがいにしろ
【28】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

姫って言わないで (2015年07月14日 18時04分)

俺が下手にでてると 思って なめるな

キサマら全員 追いコン出でやる!
【27】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

姫って言わないで (2015年07月14日 18時02分)

一生 粘着されてーの?

カンパチ キサマ もだぞ!
 
【26】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月14日 18時13分)

(ちょっと、追加した)


ヒラマサ☆=アマラオ、でいいんだっけ?。


なんで使い分けてんの?。



どっちにしろ、チミの言ってることは、「まとも」だわ。



で、なんで使い分けてんの?。


・安直なレスをする人は相変わらずですが、それゆえ発言に
 整合性が見られない場合でもそこを突いて攻撃してはいけ
 ない事



正解。



ブヒッ。
【24】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

アマラオ (2015年07月14日 12時40分)

【壮絶な後出しじゃんけん】

あの日の事です そう君がトピックを落とした日です

他の件で爆笑したと書きましたが、本当はえもいわれぬ

寂しさでいっぱいでした


私のせいだろう では私なんかにできることは何だろうか?

時間を巻き戻すことは出来ないけど、以前に似た環境を

再び構築するお手伝いは出来ると思ったのです


粘着気味に付きまとったのはそういう理由なのです!



なので私の出番はこれぐらいにしておきます



(今日のお昼はw)



※新キャラクター不評のようですね

※指摘されていますが、トピック最後の魂の言葉は
 その人の本音が出ることが多いんじゃないですかね?
 それを加味しても、まだ分析結果に過ちは無いと?
【22】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

アマラオ (2015年07月14日 12時18分)

俺です こんちゃ!

カンパチ君、先に言っておくがアレです

俺の居場所を無くならせるような行動を再びとったら

「不本意ですが、あそこに行ってあれをああして
 ごちゃごちゃとこねくり回すからw」

 (昨日おっさんが敢行して あれやったけどなw)



↓の○○障害の件は、もしかしたらアレのことかもしれないですが

ワタクシの恥ずかしい売り言葉に対する、買い言葉的な面もあり
気にかけてません。(読んでないとも)

表現で不愉快に思われる方もいらっしゃることはよくわかりますが、
そのように導かせた私の責任だとも思っています。

皆様失礼しました。
【21】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

Rosa♪ (2015年07月14日 10時45分)

☆カンパチさん

前板での入室許可頂いておりますので、お邪魔致します。


>誰かもうろ覚えで妙なこと言ってたな。

これは私の事ですか?
そうなら謝罪したと思いますが、まだ言うのかな?



>「大人」と「子供」の違いをひとことで述べよ、と言われたら、


>「自己中かそうじゃないか」ということだ。


まあ人それぞれ、考えることもあるでしょうけど
では「自己中」とは何か?って話にもなると思いますよ。

読みもしないで主削除依頼するのはそれに該当しませんか?



>私は、責任を取らない。

って書いてるけどさ
大人であり、また「自己中」でないなら
それはNGじゃないかな?





>『ていうか、この話しタケちゃんが凍結してるんじゃないの?』

>って書いてるから、タケルっちがピワド全体を仕切ってる、と言ってるように思えたのだ。


そんなの現実的に有り得ないんじゃない?




>カウンセリングだの分析だの心の病気だの、

>そんなこと、ひとことも言ってないのに、


え?書いてたよね?あちらの板で。

で、何かあればこちらにどうぞ、とも書いてあったよね?

だから数日間迷ったけど、カキコしたんですよ。



削除になってるけど、私が書いた中には

*常日頃からの彼女を知っていての発言なのか?

*不確かな情報を元に、犯罪者扱いをした挙句、病気扱いは酷いのでは?
 他人に病名つけて、「読解」した結果を発表するのは如何なものか

*百歩譲って万一病気だとしても、それを博識と広く認識されているカンパチさんが、
 あのような書き込みをするのは宜しくないのでは?
 知識があるのであればこそ、絶対してはならない行為ではないか?


という気持ちを入れたつもりでした。


それにはお答え頂いてませんよねー



で、ゆっきちゃんが言いたいのは

彼女が今不在なのに、
憶測、推測でアレコレ書くのはどうなの?
ってことじゃないかな?







>要は、ゆっきが俺をバカにしていると思ったから

>オレの前のトピでの【49】には、チョーむかついた。

>(あんたのプライドは、満足したか?)


ゆっきちゃん、そういう人ではないよ。

その前にカンパチさんが書いたレスの中に
プライドを傷付けられたら数倍返し、ってご自身が書いてたんじゃない?


ゆっきちゃんに対し、アレコレ書いたことで、カンパチさんは満足しましたか?




前板のラストが(2015年07月12日 00時06分)

では後悔してる気持ちが感じられるけど


ココのレス3番が(2015年07月12日 20時20分)

>あ〜、すっとした。



24時間経たずに気持ちが変わったのかな?

別人がココ立てたのかと思ったわ。

しかも言いたいことを言って、すっとした、っていうのはどうなの?

カンパチさんの中の、大人、自己中、という定義として、どうかな?





過去、カンパチさんに対して、風当たりが強かったりしてたことあったよね?

でも、私はカンパチさんのレス、面白いと思ったことが多かったし
タメになることも書かれていて好きでした。


だけど、今回のは反論させてもらったよ。

先日もどなたかに
「おまえ、〇〇障害じゃねえか?」
って書いてたよね?



全然オモロくない。

シャレにも見えない。


ガッカリしました。


では長々失礼しました。



この件で何かあれば、遠慮なくうちへどうぞ。
【20】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

ヒラマサ☆ (2015年07月14日 06時26分)

ティロリーン♪ それからどしたの?
【18】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

アマラオ (2015年07月13日 22時37分)

全然酔わんぞ! 3杯目


ライパチ君 いかがお過ごし化?
ラブ理論でいうところの ま

言外に基本的にカンパチキンの事は
嫌いでは無い!というメッセージが込められておる

::::はず はず




ところでカnパチ君。最近

 「落としどころ」

という語句をよく目みするような気がするのだが


俺はどうしても893が使う

 「落とし前」

のような言葉を連想してしまう

「着地点」を探る 「妥協点」を見つける

のような意味だろうが、ビジネス用語として
定着したものなのだろうか?

ただそれだけ
【16】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

アマラオ (2015年07月13日 21時29分)

全世界の皆様、御機嫌よう ヒラマサです

人はどこまで酔っぱらって書き込みができるのか?

ちょうど本日はそういう環境に恵まれましたので、
実験してみたいなぁと考えたりしています 寂しい家飲みです

高級焼酎はもったいないので一切手を付けず、
超安物の2.7リットルの封を今開けたところです


現在は一杯目ですが、酔っぱらったテイで失礼な横レスおば


>タケルを利用するな。
>相手に優越するために他人を利用する奴を、
>「卑怯者」という。


カッケー!!一度は言ってみたいセリフですね

さてワタクシの恥ずかしい過去を打ち明けますと
昔、ある人を勝手に

目に見える形での擁護意見数を頼みにして、少数意見やそ
れに沈黙という形で同調している圧倒多数の人達の存在は
考慮にない方によく見られ、どっちかというと自信無い系

と分析してしまい、ご気分を損ねられたのか
即削除という憂き目にあった経験が有るのですけど

あながち素人の間違った分析では無かったのかな?
と自信が出てきました^^


次回予告
なぜハンドルネームを使い分けなけらばならないのか
【12】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月13日 04時20分)

おう、ゆっき☆、

精神分析のブの字も知らねーで、

偉ぶってんじゃねー。


「精神分析学入門」

「夢判断」

「日常生活の精神病理学」

こんだけ読んでから出直してこい(3年かかるな)。


オレは読んだ。


精神分析をするには、豊富な知識と経験を要する。

こんだけ読んでも、精神分析なんかできるか。


オレが書いて消したレスはな、

「ガキんちょ」を「大人扱い」してさしあげて、

ご批判申し上げただけだ。バカバカしい。


ガキんちょがダダこねたレスを真に受けてんじゃねー。

ボケッ。


そうだな、精神分析がどんなものか知りたかったら、

小説「オリバー・ストーリー」を読むんだな。


この小説は、あの世界的大ベストセラー小説「ある愛の詩(ラブ・ストーリー)」の続編だ。

「ラブ・ストーリー」は、ただのメロドラマではない。

フロイトが提唱した『エデイプス・コンプレックス』をベースにしている。

欧米では、精神分析が盛んだ。

だから、あれだけの大ヒットを記録したのだ。


精神分析を知らなくても、第一級のメロドラマだけどな。


「オリバー・ストーリー」では、精神分析が何度も繰り返される。

分かったか。
【11】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月13日 03時54分)

更新、削除は、トピ主の自由といたします。


私は、自由には責任が伴うことを知っています。



私は、責任を取らない。



ブヒッ。
【10】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

姫って言わないで (2015年07月12日 20時58分)


注意してる お前が使ってるしな。
 
【7】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

姫って言わないで (2015年07月12日 20時47分)


おお。そうだね。

アンカー抜いてくれ
 
【5】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

姫って言わないで (2015年07月12日 20時46分)






【3】を縫ってしまっていたので

 1レス削除しました。




カンパチさん。

お相手様のHN なんとか伏せ字か

【彼女】になりませんでしょうか?







お願いばかりで申し訳ないです。
 
【4】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

姫って言わないで (2015年07月12日 20時39分)



え? ったったそれだけ......




ドテε=(ノ‥)ノ


あーーーーーーーーーービックリすた。

 
【3】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

姫って言わないで (2015年07月12日 20時36分)


カンパチさん。が泣かせたという意味ではないです。

この件が蒸し返されると

咲さんは苦しまなきゃならないんです。


わかるでしょ?
 
【2】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月12日 20時17分)

主なら

己の部屋のレスを削除するのに

頂さん、どうも。




>他人の指示を仰ぐな

>全て自分で判断しろ

>削除した「意」そこにあるなら




オーケー。
【1】

RE:カンパチ・ベルガーZII  評価

カンパチ (2015年07月12日 20時13分)

2日トータルで、



1500回転。



1度も当らず。
12  11  10  9  8  7  6  5  4  3  2  1 
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