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【483】 | RE:「シナサイ」の世界 カンバチ (2019年03月08日 08時23分) |
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『歴史学者磯田道史氏とジャーナリスト池上彰氏の対談』 の第2回目。 第1回目は、たった4レスで落とされてしまった僕の前トピに乗っております。 池上氏 「今日は磯田さんとですね、 いま日本が抱えている様々な問題を歴史に学んでいこうと、思うんですよね」 磯田氏 「そうですね」 池上氏 「とにかくね、私が不思議に思うのは、 磯田さんは、どうしてこんなにいろんなことをご存じなのか。 こう、本を読んだりテレビに出てるのを見ると、 へえそうなんだということがいろいろあって、 どうしてなのかなと思ったら、 古文書など、ほんとに第一次資料をお読みになってるわけですね。」 磯田氏 「そうですね。第一には好奇心が強かったというのと、 後、僕、一つ決めてることがあって、 どんな学校にも子供のころから入ったら、 その学校の図書館の本は全部読む、 読めなかったら、 背表紙に指で触る主義なんです。」 池上氏 「ほお〜」 磯田氏 「全部とにかく開けて、分からなくても、見る。 見る、見る、読めるかどうかじゃない、見る。 それで、読み切れないと思ったら、 背表紙を触るだけでも、 その、どんな本が世の中に存在するかが、頭に入るんで、 詰め込み教育はいけないとよく言うけれど、 別にそれは、強制する詰め込み教育はだめだけども、 ある程度、情報量というのはたまってくると、化学変化が起きる。」 池上氏 「起きる」 |
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【541】 |
カンバチ (2019年03月12日 21時22分) |
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これは 【483】 に対する返信です。 | |||
『歴史学者磯田道史氏とジャーナリスト池上彰氏の対談』 の第3回目。 磯田氏 「なので、そうやっていくということと、 あともう一つは、 ことに迫るには、一番事件のもとに近い、 さっき、一次資料とおっしゃいましたけど、 事件が起きたら、事件に参加した人、 もしくは、参加したときの最も近い情報を自分の体を動かして行って見る。 というのはやってきましたけどね。」 池上氏 「そうやって、色んな事が入ってくると、 よく、量は質に転嫁するという弁証法の命題としてある、 ほんとにそんな感じがします。 そういう知識と、磯田さんの中で化学変化が起きたもの、 それをいろいろ引出しながらですね、 日本と世界のことを考えていこうと思うんですね。 で、まずは、政治不信について、お話を伺えれば、と思てるんですね。 国際共同意識調査というのがありまして、 それで世界各国の国民の政治に対する、 あるいは政治家に対する意識というのを見ると、 日本の政治家に対する信頼度というのは、 世界の最低レベル」 磯田氏 「そうですね、他にも調査があって、 社会学でSSM調査というのを昔からやってて、 社会的威信度と言って、 この仕事は威信がある、 つまり 人から尊敬されたり、偉いと思われる職業ですか、って聞くと、 世界的には上位にお医者さんとか、 日本だと、お医者さん、裁判官とか、 まあ、大学の先生も低くはないんですけど、」 池上氏 「国によっては学校の先生が高いところがありますよ」 磯田氏 「ところが、議員さんのレベルは低いんですよね。 で、その事実自体は分かるんだけど、 これがなぜか、ってことになると、 やっぱり歴史的思考が必要になってくると思うんです。 私もね、はっきりした答えは持てないんですけど、 日本が、じゃあ、比べられたほかの国々と、 政治について違う点はどこなんだろうと思うと、 そうですねえ、あの、私、ひょっとしたら、 江戸時代以後、あの〜、 兵農分離、 実際には、武士と農民だから、 士農分離と言った方がいいかもしれませんけど、 治める者は城下にいて、 治められる者は農村にいる、 という 治める者と治められる者の分離を 長期間に形成してきたことが大きいんじゃないかな。 という気はしてますね。 おそらく、あのー、なんていうかな、 政治を自分のものと考えてれば、 このようには考えない。 自分の、むしろ、政治が不信なのではなくて、 政治をやってる人は、 あの、どこかほかの人がやってるという意識が、 親近感が無いので不信がある。 つまり、当事者意識というものがやっぱり、ひょっとしたら違うのかもと。 まあ、ヨーロッパのモデルというのは、 ほめそやすのは、あんまり、あれなんですけど、 政治参加という点で、 何か、違う意識を持ってるんじゃないかと、」 |
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【485】 |
もぐさ. (2019年03月08日 16時11分) |
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これは 【483】 に対する返信です。 | |||
>ある程度、情報量というのはたまってくると、化学変化が起きる。」 つまり相当な情報量があれば取捨選択も自由自在だし、対比議論する上でも、より真相に近づけると。 私の好きな歴史小説家のハナシですが、一冊の書籍を書き上げるのに膨大な量の本を読み漁るようで… そうした作家をネットでは頭ごなしに否定する論調が見られるので、ちょっと違うんじゃないかな、と。 その人の小説を基に印象が固まり、それが既成事実のように認知されるのは情報量と信頼性がより高い証拠かなと。 かといって、テレビというバイアスが掛かってくると放映する側の意図が含まれてくるので、また違ってきますよね。 単純に批評してよいのか、むずかしいところです。 |
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